続けて、21~25番歌の紹介です。
21.素性法師
【読み】
いまこむと いひしばかりに ながつきの
ありあけのつきを まちいでつるかな
詠み人は素性法師(そせいほうし)。
「いつまで待たせる気?」と女性の立場で詠んだ歌です。
歌の意味
【現代語訳】
「あなたが今すぐに行くよと仰るので、私はあなたの訪れを今か今かと待ち続けているうちに、とうとう夜が明けて有明の月が出てきてしまいました」
【わかりやすい現代風訳】
「すぐに行く言うから待ってたのに、全然来ぇへんやんけ」
言葉の意味
【今来むと】
すぐに行こうと、の意。
(待つ身の側から、「来む」といったもの)
【いひしばかりに】
言って寄こしたばかりに、の意。
【長月の】
「長月」は、陰暦の九月。
【有明の月を】
陰暦の16日以後の月。夜が明けても、まだ空に残っている月。
【待ち出でつるかな】
待っているうちに、有明の月が出てしまったようだ、の意。
詠み人紹介
21番歌の詠み人は、素性法師でした。
出家前の名前は良岑玄利(よしみねのはるとし)と言って、12番歌で紹介した僧正遍昭の実子です。
桓武天皇(第50代天皇)の曾孫に当たり、父の遍昭と同様に三十六歌仙の一人で、古今集時代の代表的歌人でもあります。
父の遍昭は仁明天皇(第54代天皇)の崩御をきっかけに突然出家してしまい、ある時に玄利(素性)が父の元を訪ねると、その場で出家させられてしまいました。
随分勝手なことをする父親というイメージですが、これが結局、素性のためにもなりました。
素性の父・遍昭は後に六歌仙の一人にも選ばれた有名な歌人で、素性もまた、遍昭のおかげでとても歌が上手になりました。
百人一首に選ばれたこの歌は、父に劣らず優れた歌人になった素性が、当時は通い婚が主流だった男女の恋愛を、女性の立場で詠んでみた歌です。
豆知識
この歌で言う「有明の月」は、20日頃の月で、午前0時頃になってからようやく出る月のこと。
覚え方
【決まり字】
いまこむと いひしばかりに ながつきの
ありあけのつきを まちいでつるかな
【覚え方・語呂合わせ】
今こ(来)い! ありあけ(有明)まで!
22.文屋康秀
【読み】
ふくからに あきのくさきの しをるれば
むべやまかぜを あらしといふらむ
詠み人は文屋康秀(ふんやのやすひで)。
平安時代に流行った漢字クイズの歌です。
歌の意味
【現代語訳】
「山から風が吹き下ろすとすぐ秋の草木がしおれてしまうので、なるほど、それで山風を嵐(荒し)と言うのですね」
【わかりやすい現代風訳】
「山と風で嵐と読む!!」
言葉の意味
【ふくからに】
吹くとすぐに、の意。
【秋の草木のしをるれば】
秋の草木がしおれるので、の意。
【むべ】
なるほどと、納得する気持ちを表す。
【山風を】
山から吹き下ろしてくる風を、の意。
【あらしといふらむ】
「あらし」は「嵐」と「荒し(激しい)」の掛詞。
山風を一字に組み合わせてしゃれたもの。
詠み人紹介
22番歌の詠み人は、文屋康秀でした。
8番歌の喜撰法師、9番歌の小野小町、12番歌の僧正遍昭、17番歌の在原業平と同じく六歌仙の一人に選ばれるほどの歌人でしたが、決して身分は高くなく、当時の下級役人でした。
37番歌の文屋朝康の父でもあります。
平安時代、漢字を歌に詠む、パズルのような「言葉遊び」が流行し、この流行の波に乗って、康秀はこの歌を詠みました。
当時は、この歌のような「しゃれ」は高く評価されていたようです。
豆知識
文屋康秀は、9番歌で紹介した小野小町と親交があり、三河の国(現在の愛知県)に赴任となった時に、お誘いの手紙を小野小町に出しました。
小野小町と言えば、どんな男性も相手にしなかったと言われる伝説の美女ですが、康秀の誘いに対する返歌は、
「わびぬれば 身を浮き草の 根を絶へて
誘ふ水あらば いなむとぞ思ふ」
(こんなに落ちぶれてわが身が嫌になったのですから、根なしの浮き草のように、誘いの水があればどこにでも行ってしまおうと思いますよ」
でした。
実際に二人が三河見物をしたかは、不明です。
覚え方
【決まり字】
ふくからに あきのくさきの しをるれば
むべやまかぜを あらしといふらむ
【覚え方・語呂合わせ】
踏(ふ) むべー!
23.大江千里
【読み】
つきみれば ちぢにものこそ かなしけれ
わがみひとつの あきにはあらねど
詠み人は大江千里(おおえのちさと)。
「悲しいなぁ…」と秋の月を詠んだ歌です。
歌の意味
【現代語訳】
「秋の月を眺めていると、様々に心が乱れて物悲しさに包まれます。何も私一人だけに(このように悲しくさせるために)やってきた秋ではないのだけれど」
【わかりやすい現代風訳】
「秋の月見てると悲しくなる。俺だけに秋が来たわけじゃねーけど」
言葉の意味
【月見れば】
月を見ると、の意。
【ちぢに】
色々と、様々に、の意。
「千々に」と書く。
【物こそ悲しけれ】
「物悲し」を強めた言い方。
【わが身ひとつの】
自分一人だけの、の意。
【秋にはあらねど】
秋ではないのだが、の意。
詠み人紹介
23番歌の詠み人は、大江千里でした。
千里の産まれた大江家は上流貴族で、学問の家柄としても知られています。
父は漢学者として有名な大江音人で、千里も学者として、歌人として、優れた才能を発揮しました。
73番歌の前中納言匡房(大江匡房)は、大江家の子孫に当たります。
16・17番歌の在原行平・業平兄弟が、千里の叔父という説もあります。
豆知識
月は秋の重要な風物で、俳句の月と言えば、秋の月のこと。
覚え方
【決まり字】
つきみれば ちぢにものこそ かなしけれ
わがみひとつの あきにはあらねど
【覚え方・語呂合わせ】
突き! わが身ひとつで!
24.菅家
【読み】
このたびは ぬさもとりあへず たむけやま
もみぢのにしき かみのまにまに
詠み人は菅家(かんけ)。
「紅葉の枝でお許しを」と神に捧げた歌です。
歌の意味
【現代語訳】
「今回の旅は忙しくて神様にお供えするぬさの用意もできませんでしたが、その代わり、この手向山の美しい紅葉をお供えしますので、どうか神様の御心のままにお受け取りください」
【わかりやすい現代風訳】
「紅葉がとても綺麗なので、神様、お受け取りくださいませ」
言葉の意味
【このたびは】
「この度」と「この旅」の掛詞。
【ぬさも】
「ぬさ(幣)」は、神への捧げもの。
旅行者が旅の安全を祈って、道の各所に祭られている道祖神に供えた。
【とりあへず】
整えるだけの、時間的な余裕が無い、の意。
【手向山】
都から奈良方面に向かってある峠道のこと。
【もみぢの錦】
紅葉の美しさを、錦の織物に見立てたもの。
【神のまにまに】
神がその気になって、この紅葉をぬさのつもりでお受け取りください、の意。
詠み人紹介
24番歌の詠み人は、菅家でした。
「学問の神様」の菅原道真(すがわらのみちざね)と聞けば、誰でも聞いたことのある名前かもしれません。
菅家とは菅原道真を尊敬した呼び方で、「菅公(かんこう)」とも言います。
道真は平安時代の貴族でしたが、優れた学者・政治家でもありました。
宇多天皇(第59代天皇)に重宝され、宇多天皇の子で後を継いだ醍醐天皇(第60代天皇)にも同じように頼られ、その際に右大臣にまで登り詰めました。
しかしその後、政治的ライバルだった藤原時平の陰謀で九州の太宰府に流されてしまい、その二年後に太宰府で亡くなったことは有名ですね。
ある日、隠居した宇多上皇が道真をはじめ100人ほどの共を従え、奈良方面へ12日間の大旅行に出かけました。
そして、峠道(手向山)にさしかかった所で、百人一首のこの歌を詠んだと言われています。
少し話は逸れますが、道真を陥れた藤原時平の父・藤原基経は、13番歌で紹介した陽成院(陽成天皇)に退位を迫り、15番歌の光孝天皇(第58代天皇)を即位させた人物です。
光孝天皇の次に即位したのが道真を重宝した宇多天皇であり、二人の信頼関係は固かったようですが、宇多天皇が譲位した醍醐天皇に、藤原時平が道真の悪口を吹き込むことで流罪が決定。
しかし、時平が39歳で突然死去すると、太宰府で病死した道真が怨霊となって祟られたと噂になりました。
更にその後、醍醐天皇がいた清涼殿で激しい落雷が落ち、時平と共に道真を陥れた貴族の数人が焼死。
これも全て道真の怨霊による仕業だとされ、惨状を目にした醍醐天皇はショックで寝込むようになり、三ヶ月後には崩御したということです。
豆知識
上皇は、天皇の位を譲って隠居された方。
法皇は、出家をされた上皇のことを言います。
覚え方
【決まり字】
このたびは ぬさもとりあへず たむけやま
もみぢのにしき かみのまにまに
【覚え方・語呂合わせ】
この もみじ(紅葉)…
25.三条右大臣
【読み】
なにしおはば あふさかやまの さねかづら
ひとにしられで くるよしもがな
詠み人は三条右大臣(さんじょうのうだいじん)。
「なんとかして会いたい」と愛する人への歌です。
歌の意味
【現代語訳】
「逢坂山のさねかづらが会って寝るという名を持っているならば、さねかづらを手繰れば来るように、誰にも知られずにあなたに会いに行く方法があったら良いのに」
【わかりやすい現代風訳】
「あなたにこっそり会いに行く方法が知りたい」
言葉の意味
【名にしおはば】
名を持っているならば、の意。
「名」とは「逢坂山」の「あふ」の言葉を言う。
【逢坂山】
山の名の「あふ」と、人に「会ふ」の掛詞。
【さねかづら】
ビナンカズラのこと。つる状の草。
草の名の一部「さね」と、「さ寝(一緒に寝ること)」が掛詞になっている。
【人に知られで】
誰にも知られずに、の意。
【くるよしもがな】
こっそり会いに行く来る(行く)方法があったら良いのに、の意。
「くる」は、「繰る(手繰り寄せる)」と「来る」の掛詞。
「来る」は「行く」と同じ意味。
詠み人紹介
25番歌の詠み人は、三条右大臣でした。
本名を藤原定方(ふじわらのさだかた)と言い、京都の三条に邸宅があり、後に右大臣という高い位に就いたことから、三条右大臣と呼ばれました。
定方は三十六歌仙にも選ばれている27番歌の藤原兼輔(中納言兼輔)の従兄弟、更に44番歌の藤原朝忠(中納言朝忠)の父で、和歌や音楽の才能に秀でていた、上流貴族でした。
定方は違いますが、息子の朝忠は、三十六歌仙の一人です。
定方には愛した女性がいましたが、関係が公になったことでその女性と会えなくなってしまい、この歌を詠んだと言われています。
豆知識
さねかづらは、春・夏の頃は大体真っすぐ伸び、秋になると絡み合って伸びる植物です。
覚え方
【決まり字】
なにしおはば あふさかやまの さねかづら
ひとにしられで くるよしもがな
【覚え方・語呂合わせ】
何しに 人にし(知)られないで来た?
1~5番歌はこちらから。
【百人一首】現代風訳から作者紹介・覚え方まで! 1~5番歌6~10番歌はこちらから。
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【百人一首】現代風訳から作者紹介・覚え方まで! 11~15番歌16~20番歌はこちらから。恋歌ばかりです。
【百人一首】現代風訳から作者紹介・覚え方まで! 16~20番歌26~30番歌はこちらから。
【百人一首】現代風訳から作者紹介・覚え方まで! 26~30番歌31~35番歌は古今集時代の名人ばかりです。
【百人一首】現代風訳から作者紹介・覚え方まで! 31~35番歌36~40番歌はこちらから。
【百人一首】現代風訳から作者紹介・覚え方まで! 36~40番歌
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