【百人一首】現代風訳から作者紹介・覚え方まで! 16~20番歌

 

続けて、16~20番歌の紹介です。

恋歌の連続なので、真面目に現代語訳しています。

 

16.中納言行平

【読み】

たちわかれ いなばのやまの みねにおふる
まつとしきかば いまかへりこむ

 

詠み人は中納言行平(ちゅうなごんゆきひら)

「きっと会いに来る」と別れを悲しんだ歌です。

歌の意味

【現代語訳】

「私は今あなたとお別れして、因幡の国へ行かなければなりません。しかし、その国の稲葉山に生えている松のように、あなたが待っていてくださると聞いたら、すぐにでも都へ帰って来ましょう」

 

【わかりやすい現代風訳】

「どうしても仕事で遠くで行かなくてはいけない。だけど君が待っていてくれるなら、僕はすぐにでも君の元に帰るからね」

言葉の意味

【たち別れ】

「たち」は、「別れ」の意味を強める言葉。

【いなばの山】

「稲葉(の山)」と、「往なば」との掛詞。

稲葉山は因幡の国(現在の鳥取県)にあった山で、「往なば」は「行っても」、の意。

【峰に生ふる】

峰に生えている、の意。

【まつとし聞かば】

「まつ」は、「松」と「待つ」の掛詞。

【帰り来む】

帰って来よう、の意。

詠み人紹介

16番歌の詠み人は、中納言行平でした。

本名を在原行平(ありわらの ゆきひら)と言って、当時はイケメンと名高い、次に紹介する17番歌の在原業平の異母兄に当たります。

また平城天皇の孫で、14番歌でも少し出た嵯峨天皇は大叔父になり(平城天皇と嵯峨天皇は兄弟)、桓武天皇のひ孫になります。

 

行平は弟の業平と違い、在原氏の長として一族の繁栄を願い、政治の仕事に励んだ人物でした。

学問を好み、和歌にも優れていて、後には中納言という高い位にもつきました。

 

38歳の時、行平は因幡の国(現在の鳥取県)を治める国司に任命され、その時に詠んだ歌が、この百人一首の別れを悲しんだ歌になります。

 

「古今和歌集」によると、文徳天皇(第55代天皇)の頃に行平は須磨(現在の兵庫県)に蟄居を命じられたということで、「源氏物語」の須磨の巻は、この行平をモデルに書かれたと言われています。

豆知識

飼い猫がいなくなった時、この歌の下の句を紙に書いて戸口に貼っておくと、猫が帰って来ると言われていました。

覚え方

【決まり字】

わかれ いなばのやまの みねにおふる

まつしきかば いまかへりこむ

 

【覚え方・語呂合わせ】

ち と聞かねば!

17.在原業平朝臣

【読み】

ちはやぶる かみよもきかず たつたかは
からくれなゐに みづくくるとは

 

詠み人は在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)

「昔のあなたを思い出す」と屏風絵を見て詠んだ歌です。

歌の意味

【現代語訳】

「不思議なことが多かった神代の昔にも、こんなことがあったとは聞いていない。龍田川の水が、しぼり染めで染め上げたように、紅葉が散って鮮やかな紅色に燃えている」

 

【わかりやすい現代風訳】

「こんなことが起こり得るのだろうか。紅葉が散って鮮やかに燃えている。昔激しく燃えた、君と僕の恋の火のようだ

言葉の意味

【ちはやぶる】

「神」にかかる枕詞。

【神代も聞かず】

神代の昔にも聞いていない、の意。

「神代」は、人の世に対する神の代。不思議なことが多かった時代。

【龍田川】

現在の奈良県、龍田山のほとりを流れる川。

紅葉の名所でもある。

【からくれなゐに】

鮮やかな紅色に。真紅に、の意。

【水くくるとは】

「くくる」は、くくり染め(しぼり染め)にすること。

実際には、龍田川の水面を紅葉が隙間なく流れているのではなく、一葉一葉、または一群れ一群れ流れているのを、そういったもの。

詠み人紹介

17番歌の詠み人は、在原業平朝臣でした。

16番歌で紹介した中納言行平の異母弟なので、行平同様に、桓武天皇のひ孫で平城天皇の孫に当たり、嵯峨天皇は大叔父になります。

8番歌の喜撰法師、9番歌の小野小町、12番歌の僧正遍昭も選ばれた六歌仙の一人で、更に三十六歌仙の一人でもあります。

美男の代名詞とされ、情熱的な歌人としても知られています。

 

業平は、「伊勢物語」に出てくる主人公とされていいます。

伊勢物語が史実であるとするならば、清和天皇と結婚するはずだった藤原家の姫、藤原高子と恋愛関係にあったとされ、あろうことか二人は駆け落ちを決行。

しかし、業平は捕らえられ高子は連れ戻されてしまい、結果的に高子は清和天皇のお后になり、業平は近衛府の役人として遠くからお妃にお仕えすることになったと言われています。

百人一首のこの歌は、お妃の屋敷で儀式に使われた一枚の屏風を見て、高子のことを想ってただちに詠んだと言われています。

豆知識

神代の昔の不思議とは、島が動いたり、八色の雲がたなびいたりすること等です。

覚え方

【決まり字】

やぶる かみよもきかず たつたかは

くれなゐに みづくくるとは

 

【覚え方・語呂合わせ】

やちゃん かから~

18.藤原敏行朝臣

【読み】

すみのえの きしによるなみ よるさへや
ゆめのかよひぢ ひとめよくらむ

 

詠み人は藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)

「人目なんか気にしないで」と恋人をうらんで詠んだ歌です。

歌の意味

【現代語訳】

「住の江の岸に寄せては返す波のように、私は昼も夜もあなたに会いたいのです。それなのに、昼はもちろん夜見る夢の中でさえ、なぜあなたは人目を避けて私に会ってくれないのでしょうか?」

 

【わかりやすい現代風訳】

「君に会いたくて会いたくて堪らない。でも、どうして君は人目を気にして僕に会ってくれないのだろう?

言葉の意味

【住の江の】

現在の大阪府住吉区の海岸を指す。

【岸に寄る波よるさへや】

人目を避ける必要のない夜までも、の意。

【夢の通ひ路】

夢の中で、思い人(恋人)の元に通ってくる道。

【人目よくらむ】

どうしてあなた(恋人)は、人目を避けようとするのか、の意。

夢の中も会ってくれない理由を推測している。

詠み人紹介

18番歌の詠み人は、藤原敏行朝臣でした。

宇多天皇(第59代天皇)に大変可愛がられ、順調に出世をした宮廷のエリートです。

歌を詠めば三十六歌仙の一人として才能を発揮し、また書道家としても有名で、11番歌で紹介した参議篁の孫で書道家の小野道風も、最高の書家としてあの弘法大師と共に藤原敏行の名を挙げるほどでした。

 

ある時、皇后様の御殿で「歌合」(天皇やお后様等の御前で歌を詠む会)が開かれ、この席で敏行は、冷たい恋人のことを詠んだと言われています。

 

藤原敏行朝臣は、一度亡くなった後、突然生き返ってさらさらとお経を書き上げ、そしてまだ亡くなったという話も残っています。

豆知識

平安時代の人々は、恋人の夢を見ることは、その人が自分を愛しているからだと考えていました。

思い人の夢を見れば、その思い人が自分のことを好きなんだと考えていたわけです。

なので、逆に思い人の夢を見ないのは、相手が自分から離れていったためと信じていました。

覚え方

【決まり字】

みのえの きしによるなみ よるさへや

のかよひぢ ひとめよくらむ

 

【覚え方・語呂合わせ】

み(墨)の ゆ(夢)…

19.伊勢

【読み】

なにはがた みじかきあしの ふしのまも
あはでこのよを すぐしてよとや

 

詠み人は伊勢(いせ)

「あなたは冷たいお人」と恋人をうらんで詠んだ歌です。

歌の意味

【現代語訳】

「難波潟に生えている葦のあの短い節と節の間のように、ほんの短い間でいいから、あなたにお会いしたいのです。でも、それさえ叶わずこの世を空しく終えてしまえと、あなたは仰るのでしょうか」

 

【わかりやすい現代風訳】

「ほんの少しの時間でもいいから会いたいのに、あなたに会えないこの時間を、私はどう過ごしたらいいの

言葉の意味

【難波潟】

現在の大阪府にある淀川の河口。葦の名所でもある。

【短き葦の】

「葦」は、水辺に生える、竹に似た植物。

【ふしのまも】

葦そのものは短くないが、節と節との間は短い。

そのような、ほんの短い間のこと、の意。

【あはで】

会わないで、の意。

【この世を過ぐしてよとや】

この世を終えてしまえとでも仰るのですか、の意。

詠み人紹介

19番歌の詠み人は、伊勢でした。

三十六歌仙の一人で、9番歌の小野小町と並んで、古今集時代の花形女流歌人でした。

情熱的な恋歌を詠むことで有名です。

 

伊勢は、宇多天皇(第59代天皇)のお后・温子(おんし)に仕える美しい女官でした。

伊勢のその美しさに温子の異母弟・藤原仲平はすっかり夢中になり、すぐに恋仲になりましたが、次第に仲平は他の女性に心を移してしまったようで、その仲平に対して、伊勢は切ない恋心を表現したこの歌を詠みました。

 

仲平との恋の後は、仲平の兄・藤原時平とも恋愛関係になり、その後宇多天皇に愛され、皇子を出産するも早世。

最後は夫だった宇多天皇の皇子(!)・敦慶親王(あつよししんのう)と結婚し、娘・中務(なかつかさ)を出産しました。

中務は、母の伊勢同様に三十六歌仙に選ばれた有名歌人です。

豆知識

伊勢の名前は、父が伊勢守(現在の三重県の長官)であったことから、こう呼ばれています。

覚え方

【決まり字】

なにがた みじかきあしの ふしのまも

あはこのよを すぐしてよとや

 

【覚え方・語呂合わせ】

なに(難波)さんが あは(泡)コシコシ

20.元良親王

【読み】

わびぬれば いまはたおなじ なにはなる
みをつくしても あはむとぞおもふ

 

詠み人は元良親王(もとよししんのう)

「命がなくなってもいいから」と愛する人に贈った歌です。

歌の意味

【現代語訳】

「あなたに会えなくなって悩み苦しむ今、こうなってはそれは命もないも同じこと。いっそ、難波潟にあるみをつくし(船の道しるべ)のように、我が身を滅ぼしてもいいからあなたにお会いしたいのです」

 

【わかりやすい現代風訳】

「君に会えないだけで、もう何もかもがどうでもいい。自分に何が起きても構わないから、ただとにかく君に会いたいだけなんです

言葉の意味

【わびぬれば】

悩み苦しんでいるので、の意。

【今はた同じ】

今となってはもう身を滅ぼしたのと同じ、の意。

やぶれかぶれの気持ちを表している。

【難波なる】

難波潟にある、の意。

【身をつくしても】

「みをつくし」は、「澪標」(船の通り道くを示すために水の深い所に立てた杭)と、「身を尽くし」(身を滅ぼす)の掛詞。

【あはむとぞ思ふ】

お会いしたいと思います、の意。

詠み人紹介

20番歌の詠み人は、元良親王でした。

13番歌の陽成院(第57代陽成天皇)の第一皇子でしたが、父・陽成天皇が譲位した後に産まれたので、天皇にはなれませんでした。

優れた歌人で、恋を好まれた皇子として有名です。

 

平安時代一番のプレイボーイ、元良親王は、美しい人を見ればみんな好きになってしまう気の多い人で、宇多上皇の妻だった・藤原褒子(ふじわらのほうし)と密通をしてしまうほど情熱的な人でした。

ところが噂はすぐに広まり、密通の話が宇多上皇の耳に入ったことで二人の仲は引き裂かれてしまいました。

その際に詠んだのが、百人一首に選ばれたこの歌です。

 

少しややこしいですが、元良親王と密通した藤原褒子の父は、19番歌の伊勢とも恋仲だった藤原時平。(伊勢は上皇になる前の宇多天皇との間に、皇子も出産しています)

褒子は14番歌で紹介した河原左大臣(源融)がかつて住んでいたお屋敷・河原院に宇多上皇と住んでいた時期があります。

豆知識

平安時代一番のプレイボーイが詠んだ恋歌とはいえ、褒子に贈ったこの歌は素晴らしい歌とされ、「源氏物語」の中にも使われています。

覚え方

【決まり字】

ぬれば いまはたおなじ なにはなる

みをつくして あはむとぞおもふ

 

【覚え方・語呂合わせ】

(詫び)は 身を尽くして足りない!

 

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31~35番歌は古今集時代の名人ばかりです。

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41~45番歌も恋歌ばかりです。

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