続けて、26~30番歌の紹介です。
26.貞信公
【読み】
をぐらやま みねのもみぢば こころあらば
いまひとたびの みゆきまたなむ
詠み人は貞信公(ていしんこう)。
紅葉が散らないように願って詠んだ歌です。
歌の意味
【現代語訳】
「小倉山の峰のもみじ葉よ、もしお前に物のわかる心があるなら、今度ここへ天皇がいらっしゃるまで、どうか散らないで待っていておくれ」
【わかりやすい現代風訳】
「紅葉はん、今度天皇がいらっしゃるまで絶対に散らんといて!」
言葉の意味
【小倉山】
京都市右京区嵯峨にある紅葉の名所。
藤原定家の山荘があった地でもある。
【心あらば】
物事の味わいや、道理をわきまえる心があるならば、の意。
【今ひとたびの】
もう一度あるはずの、の意。
【みゆき】
ここでは、醍醐天皇の行幸(おでまし)を指す。
【待たなむ】
待っていて欲しい、の意。
詠み人紹介
26番歌の詠み人は、貞信公でした。
本名は藤原忠平(ふじわらのただひら)と言い、24番歌で紹介した菅家(菅原道真)を陥れた、藤原時平の弟です。
実兄の時平のせいで道真は太宰府に流罪となってしまいましたが、弟の忠平は道真を親交があったとされています。
24番歌の所で紹介したように、関白だった藤原時平が39歳という若さで突然亡くなり、その後も時平の弟、子ども、孫たちも立て続けに亡くなったことで、人々は時平によって流された菅原道真の祟りだと言って恐れました。
そして、生き残った藤原時平(貞信公)が醍醐天皇(第60代天皇)に仕えるようになり、右大臣となったのです。
忠平は大変心が優しく人望もある政治家で、藤原氏全盛時代の基礎を作った人物であり、貞信公という名も、忠平が亡くなった後に贈られた名前です。
百人一首のこの歌は、ある年に忠平が宇多法皇(醍醐天皇の父)のお供をして、小倉山のふもとの大井川に出かけた時に詠んだ歌です。
見事な紅葉に、宇多法皇が「我が子の醍醐天皇にも見せてやりたい」と仰ったお言葉を聞いて、詠んだとされています。
実際に、宇多法皇に続いて醍醐天皇も、翌月に大井川にお出かけになりました。
豆知識
「大鏡」には、藤原時平が「宮中で鬼を退治した」という話があります。
覚え方
【決まり字】
をぐらやま みねのもみぢば こころあらば
いまひとたびの みゆきまたなむ
【覚え方・語呂合わせ】
小ぐら(倉)山 今ひとたび、みゆき(行幸)を待て!
27.中納言兼輔
【読み】
みかのはら わきてながるる いづみがは
いつみきとてか こいしかるらむ
詠み人は中納言兼輔(ちゅうなごんかねすけ)。
「あの人に会いたい」と片思いの歌です。
歌の意味
【現代語訳】
「みかの原から湧き出して大きなうねりとなっていくいづみ川の名のように、私はあの方にいつ見た(一度も会った)ことがないというのに、どうしてこんなに恋しいのだろう」
【わかりやすい現代風訳】
「会ったこともないけど、考えるだけでめっちゃ好き!」
言葉の意味
【みかの原】
京都府相楽郡にある原。
【わきて流るる】
「分きて」と「湧きて(水がわく)」の掛詞。
みかの原が、いづみ川の両岸に広がる状態を言う。
【いづみ川】
現在の木津川のこと。
【いつ見きとてか】
いつ会ったというので~か。一度も会ったことがないのに、の意。
【恋しかるらむ】
どうしてこんなに恋しいのだろう、の意。
詠み人紹介
27番歌の詠み人は、中納言兼輔でした。
本名は藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)、京都の賀茂川の堤に大きな屋敷を構えていたので、「堤中納言(つつみちゅうなごん)」とも呼ばれていました。
三十六歌仙の一人で和歌や管弦にも優れ、25番歌の藤原定方(三条右大臣)の従兄弟であり、57番歌の紫式部の曽祖父でもあります。
兼輔は人の噂でとある女性のことを知り、そして噂だけでその女性を好きになり、思いが募って詠んだのがこの片思いの歌となるわけですが、現代人の感覚だと少しわかりにくいかもしれないですね。
平安時代の女性は家の外に出ることはなく、男女の恋愛の始まりは、侍女など「人の噂」からでした。
「どこどこに綺麗なお姫様がいる」
という噂を男性が聞きつけ、本当にそんな女性がいるのかと家の周りを探りに行き、実際に存在することがわかれば手紙のやり取りが始まります。
手紙のやり取りが上手いこといけば、男性は夜になって女性の家に忍び込み、朝になったら男性は家を出る。
男性が女性を気に入り三日続けて同じ女性の元に通えば、なんと結婚成立!……という流れでした。
兼輔は最初の最初の段階の時点で、お相手の女性に会いたくて仕方なくなってしまったようです。
自身も優れた歌人であった藤原兼輔の屋敷には、35番歌の紀貫之や29番歌の凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)など、古今集時代の有名な歌人たちが、よく訪ねてきていました。
歌人たちの中には貧しい下級貴族もいて、兼輔は、そんな歌人たちのスポンサーのような役目もしていました。
豆知識
いづみ川には、昔、弘法大使が修行の途中に水が飲みたくて、杖で地面を叩いたら、水が湧き出してきたという伝説が残っています。
覚え方
【決まり字】
みかのはら わきてながるる いづみがは
いつみきとてか こいしかるらむ
【覚え方・語呂合わせ】
みかの原(で) いつ見聞きした?
28.源宗于朝臣
【読み】
やまざとは ふゆぞさびしさ まさりける
ひとめもくさも かれぬとおもへば
詠み人は源宗于朝臣(みなもとのむねゆきあそん)。
「寂しいことよ」と冬の寂しさを詠んだ歌です。
歌の意味
【現代語訳】
「山里はいつも寂しいが、冬になれば尚のこと寂しさが身に染みる。訪れる人もいなくなり、草も枯れ果ててしまうと思うと…」
【わかりやすい現代風訳】
「冬はとりわけ寂しいねん」
言葉の意味
【山里は】
山の中の村は、の意。
ここでは、山村にある別荘や庵を言う。
【冬ぞさびしさ】
四季を通じていつも寂しいが、とりわけ冬は、の意。
【まさりける】
ひときわ身に染みて感じられることだ、の意。(他の季節より勝っている)
【人目も草も】
「人目」は、ここでは人の出入り・行き来などを言う。
【かれぬと】
「かれ」は、「離(か)れ」と「枯れ」の掛詞。
「人目も離れ(人も来なくなる)、草も枯れる」の意。
【思へば】
思うと、の意。
意味上、「まさりける」に続く。
詠み人紹介
28番歌の詠み人は、源宗于朝臣でした。
15番歌の光孝天皇(第58代天皇)の孫として生まれましたが、臣下に下って、源の姓を名乗りました。
しかし、その割には出世できず、自身の恵まれない環境を嘆いていたと言いますが、歌の道では三十六歌仙の一人に数えられる有名歌人でした。
ある時、宗于は宇多天皇(第59代天皇)に自身の不遇さを嘆く歌を詠みましたが、宇多天皇にはさっぱり意味がわからず、宗于の思いが天皇に伝わることはありませんでした。
百人一首のこの歌は、そんな満たされない時に詠んだ歌とも、純粋に冬の情景を詠んだ歌とも言われています。
百人一首の中では、数少ない冬の様子を詠んだ歌でもあります。
豆知識
「山里」という言葉は、古今集では「孤独」「寂しさ」などの気分を表すものとして用いられています。
覚え方
【決まり字】
やまざとは ふゆぞさびしさ まさりける
ひとめもくさも かれぬとおもへば
【覚え方・語呂合わせ】
山ざと(里)で 人め(目)から隠れる
29.凡河内躬恒
【読み】
こころあてに おらばやおらむ はつしもの
おきまどはせる しらぎくのはな
詠み人は凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)。
「どれが白菊か」と初霜の朝を詠んだ歌です。
歌の意味
【現代語訳】
「当てずっぽうで折ったなら折ることができようか。辺り一面に初霜が降りて、どれが霜やら菊やら、さっぱりわからない庭から、白菊の花を」
【わかりやすい現代風訳】
「初霜すげぇ! 庭が真っ白! 白菊どこ!? 適当に折っても白菊が当てられるかな」
言葉の意味
【心あてに】
当てずっぽうで、の意。
「折らむ」にかかる。
【折らばや折らむ】
折ったならば、折ることができようか、の意。
【初霜の】
初霜は、初冬の頃、初めて降りる霜。
【置きまどはせる 白菊の花】
真っ白い霜が一面に降りて、白菊と霜の見分けがつかない、の意。
詠み人紹介
29番歌の詠み人は、凡河内躬恒でした。
醍醐天皇(第60代天皇)からの命を受け、30番歌の壬生忠岑、33番歌の紀友則、35番歌の紀貫之ら三人と共に「古今和歌集」を編纂した撰者の一人で、三十六歌仙にも選ばれています。
紀貫之同様に、平安時代前半を代表する大歌人です。
醍醐天皇に信頼され、お供をしたり、歌を差し上げたりもしていたと言います。
醍醐天皇が月夜に音楽の遊びを開かれた時、醍醐天皇がされた質問を即興で歌で返したという逸話もあります。
豆知識
和歌に「菊」が詠まれたのは古今集時代からで、万葉集には一首もありません。
覚え方
【決まり字】
こころあてに おらばやおらむ はつしもの
おきまどはせる しらぎくのはな
【覚え方・語呂合わせ】
心あ おき(青き)白菊の花
30.壬生忠岑
【読み】
ありあけの つれなくみえし わかれより
あかつきばかり うきものはなし
詠み人は壬生忠岑(みぶのただみね)。
「振られた朝を思う」と別れた人へ送る歌です。
歌の意味
【現代語訳】
「あなたと別れた時も有明の月が残っていましたが、あの時から私は、有明の月がかかる夜明けほど辛いものはありません」
【わかりやすい現代風訳】
「君と別れたあの日以来、有明の月の夜明けが来ると、君を思い出して泣けてきます」
言葉の意味
【有明の】
「の」は、「のように」、の意。
【つれなく】
そっけなく、冷淡に、無情に、の意。
【暁ばかり】
「暁」は、夜明け直前のまだ暗い頃。
【憂きものはなし】
辛いものはない、の意。
詠み人紹介
30番歌の詠み人は、壬生忠岑でした。
29番歌の凡河内躬恒、33番歌の紀友則、35番歌の紀貫之ら三人と共に「古今和歌集」を編纂した撰者の一人で、忠岑は身分の低い下級役人でしたが、歌人としては大変優れており、三十六歌仙にも選ばれています。
41番歌の壬生忠見の父で、息子の忠見も三十六歌仙の一人です。
99番歌の後鳥羽院(後鳥羽天皇)が、「古今和歌集」中、最も優れた歌を問われた時、百人一首の撰者である97番歌の藤原定家はこの忠岑の歌を挙げて高く評価し、98番歌の藤原家隆も同意見だったと言います。
豆知識
「有明の月」は、辛く悲しく見えるものとして、多くの歌に詠まれています。
覚え方
【決まり字】
ありあけの つれなくみえし わかれより
あかつきばかり うきものはなし
【覚え方・語呂合わせ】
ありあけ(有明)の あかつき(赤月)
1~5番歌はこちらから。
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