【百人一首】現代風訳から作者紹介・覚え方まで! 41~45番歌

 

続けて、41~45番歌の紹介です。

男性視点の恋歌ばかりです。

 

41.壬生忠見

【読み】

こいすてふ わがなはまだき たちにけり
ひとしれずこそ おもひそめしか

 

詠み人は壬生忠見(みぶのただみ)

「内緒の恋が広まってしまった」という恋のです。

歌の意味

【現代語訳】

「あの人に恋しているという噂が、早くも広まってしまった。誰にも知られないように恋し始めたばかりなのに」

 

【わかりやすい現代風訳】

「噂広めたの誰やねん。あの子を好きになり始めたことは誰にも言うてへんぞ」

言葉の意味

【恋すてふ】

恋をしているという、の意。

【わが名は】

私の噂が、の意。

「名」は噂・評判を指す。

【まだき】

早くも、の意。

【立ちにけり】

広まってしまったことだ、の意。

「立ち」は、噂が世間に広まること。

【人知れずこそ】

人に知られないように、の意。

「人」は、他人のこと。

【思ひそめしか】

思い始めたばかりなのに、の意。

詠み人紹介

41番歌の詠み人は、壬生忠見でした。

「古今和歌集」を編纂した撰者の一人、30番歌の壬生忠岑の子で、親子共に三十六歌仙にも選ばれている名歌人です。

 

40番歌の平兼盛で紹介したように、忠見は村上天皇(第62代天皇)によって開かれた天徳内裏歌合に参加した歌人で、地方の下級役人でしたが、この歌合いのためにはるばる田舎から出てきて参加をしました。

そして、相手の兼盛と「恋」をお題にして披露されたものが、この「恋すてふ…」です。

結果、審判の判定は兼盛の歌を勝ちとし、忠見は負けた悔しさから食事も喉を通らなくなり、それが元で亡くなったとも伝えられましたが、その後も歌人として活躍していたようです。

豆知識

忠見と兼盛の歌の評価をその後も多くの人たちが論じていますが、現在では忠見の歌も評価されています。

覚え方

【決まり字】

すてふ わがなはまだき たちにけり

ひとれずこそ おもひそめしか

 

【覚え方・語呂合わせ】

(恋)する私は 人し(知)れず!?

 

42.清原元輔

【読み】

ちぎりきな かたみにそでを しぼりつつ
すゑのまつやま なみこさじとは

 

詠み人は清原元輔(きよはらのもとすけ)

「あんなに約束したのに」と恋人に振られた人に代わって詠んだ歌です。

歌の意味

【現代語訳】

「あの時、二人は約束しましたね。何度も嬉し涙に濡れた袖を絞りながら、どんなに海が荒れようとあの末の松山を波が超えないように、お互いに心変わりなんて絶対にしないと…」

 

【わかりやすい現代風訳】

「絶対に浮気しないって約束したやんけ(泣)」

言葉の意味

【契りきな】

固く約束をしたこと、の意。

【かたみに】

お互いに、の意。

【袖をしぼりつつ】

幾度も袖を絞りながら、の意。

「袖をしぼる」は、涙で濡れた袖をしぼること。

「つつ」は、同じ動作の繰り返しを示す。

【末の松山 波こさじとは】

末の松山を波が超えることが無いように(浮気な心を持つようなことは、絶対に無い)、の意。

「末の松山 波こさじ」という表現は、「太陽が西から昇ることはない」という言い方と同じで、絶対に起こり得ないことを指す。

「末の松山」は、現在の宮城県多賀城市の海岸にあったと言われた名所。

詠み人紹介

42番歌の詠み人は、清原元輔でした。

平安時代中期の代表的歌人で、「梨壺の五人」と呼ばれた「後撰和歌集」の撰者の一人でもあり、もちろん三十六歌仙にも選ばれています。

素早く歌を詠むタイプの歌人で、とても多作な人物でした。

36番歌の清原深養父の孫に当たり、娘は62番歌で紹介するあの有名な清少納言です。

清少納言は、名歌人だった父の元輔が誇りでもあり、また重荷にも感じていたようです。

 

百人一首のこの歌は、心変わりをした女性に送る歌を友人の代筆でしたものです。

豆知識

賀茂神社のお祭りの使いとして行列に加わっていた元輔は、突然馬から転げ落ちしまい、冠も滑り落ちてハゲ頭がむき出しになったことで、見物人から笑われてしまいました。

この時元輔は、「馬だって躓くのは当たり前、毛の無い頭から冠が落ちるのも当たり前」と長々と理屈を並べ立てたので、ますます面白がられたという話が残っています。

覚え方

【決まり字】

ちぎりな かたみにそでを しぼりつつ

ゑのまつやま なみこさじとは

 

【覚え方・語呂合わせ】

ちぎりった え(末)の…

 

43.権中納言敦忠

【読み】

あひみての のちのこころに くらぶれば
むかしはものを おもはざりけり

 

詠み人は権中納言敦忠(ごんちゅうなごんあつただ)

想いが叶った後の恋の切なさを詠んだ歌です。

歌の意味

【現代語訳】

「想いが叶って共に一夜を過ごした後の悩ましく切ない気持ちに比べたら、あなたに会える以前の苦しいほどの恋しさなんて、まるで無かったことのようです」

 

【わかりやすい現代風訳】

「一度愛し合ったら、更に色々好き過ぎて切なくなったよ!! 片思いの頃が懐かしいわ!」

言葉の意味

【逢ひ見ての】

「逢ふ」も「見る」も、男女関係で用いられると男女が深い仲になったことを言う。

【後の心に】

深い仲になった後の、複雑で悩ましい心、の意。

【くらぶれば】

比べると、の意。

【昔は】

相手と「逢ひ見る」以前のことは、の意。

【物を 思はざりけり】

昔の物思いなどは、今のこの物思いに比べると「物思い」の数に入らないです、の意。

詠み人紹介

43番歌の詠み人は、権中納言敦忠でした。

本名は藤原敦忠(ふじわらのあつただ)三十六歌仙にも選ばれており、びわの名人だったことから、「びわの中納言」とも呼ばれました。

敦忠の父は、これまで何度も名前が出ている、時の権力者、左大臣藤原時平です。
時平は、24番歌の菅家(菅原道真)を陥れ太宰府に流れさせたことで有名な人物です。

26番歌・貞信公(藤原忠平)は敦忠の叔父に当たり、39番歌の参議等の娘を妻の一人に迎えています。

 

父の時平は好色なことで有名で、伯父の藤原国常の妻を結果的に奪ったという逸話が残っています。
(奪ったと言うより、老人だった国常には20歳くらいの若い妻がいましたが、酔った勢いで自分の大切な妻を時平に差し上げてしまい、時平もそのまま妻を自宅に連れて帰ってしまっただけ)

その時平と伯父から貰い受けた妻との間に出来た子が敦忠で、当時とてもイケメンで、女性にモテまくっていたようです。

一時は、38番歌の右近とも恋愛関係にありました。

 

父の時平が菅原道真を九州に追放した祟りからなのか、それとも右近を振った罰が当たったかどうかはわかりませんが、敦忠も父同様に、権中納言という高い位に就いた翌年、38歳という若さで亡くなりました。

豆知識

右近を「忘らるる身」にした相手がこの敦忠ですが、敦忠のこの百人一首の歌は、右近に送ったものではないようです。

覚え方

【決まり字】

みての のちのこころに くらぶれば

しはものを おもはざりけり

 

【覚え方・語呂合わせ】

あい(アイアイ)は むし(昔)怖かった

 

44.中納言朝忠

【読み】

あふことの たえてしなくは なかなかに
ひとをもみをも うらみざらまし

 

詠み人は中納言朝忠(ちゅうなごんあさただ)

「好きにならなければ」と失恋を嘆いた歌です。

歌の意味

【現代語訳】

「あなたと出会うことが無かったならば、あなたの冷たさも自分の不幸も、こんなに恨まなくていられただろうに」

 

【わかりやすい現代風訳】

「あの日あの時あの場所で、君に出会わなければ良かった」

言葉の意味

【逢ふ事の】

「逢ふ」は、男女が深い仲になったことを指す。

【絶えてしなくは】

絶対に無いのなら、の意。

【なかなかに】

かえって、の意。

「恨みざらまし」にかかる。

【人をも身をも】

「人」は、相手の女性、「身」は作者自身を指す。

相手の辛い仕打ちと、自分の不甲斐なさ・不幸を、の意。

【恨みざらまし】

恨まないことだろう、の意。

事実は、会うことがあるから恨まないでいられない。

詠み人紹介

44番歌の詠み人は、中納言朝忠でした。

本名は藤原朝忠(ふじわらのあさただ)、名前は似ていますが、上に出て来た43番歌の権中納言敦忠とは無関係です。

笙(しょう)という楽器の名人、かつ三十六歌仙の一人で、25番歌の三条右大臣(藤原定方)の子です。

 

切ない失恋の歌ですが、これは相手を特定した歌ではなく、歌合の時に詠まれたものです。

豆知識

朝忠も、38番歌の右近の恋人だったことがあるらしいです。

覚え方

【決まり字】

ことの たえてしなくは なかなかに

ひともみをも うらみざらまし

 

【覚え方・語呂合わせ】

ことで 人も恨む

 

45.謙徳公

【読み】

あはれとも いふべきひとは おもほえで
みのいたづらに なりぬべきかな

 

詠み人は謙徳公(けんとくこう)

「自分も消えて行く」と失恋を悲しんだ歌です。

歌の意味

【現代語訳】

「あなたに見捨てられた今となっては、もはや私を可哀想にと思ってくれる人は誰もいないだろうから、私はこのまま虚しく命の灯が消えていくに違いないだろう」

 

【わかりやすい現代風訳】

「失恋した所で誰も同情してくれへんし、もう俺アカンわ」

言葉の意味

【哀れとも】

気の毒だ、可哀想だ、の意。

【いふべき人は】

言って同情してくれる人は、の意。

「人」は、相手の女性以外の人を指す。

【思ほえで】

思われないから、の意。

【身の】

「身」は作者自身を指す。

【いたづらに なりぬべきかな】

「いたづらになる」は、虚しくなって命を落とすこと。

「ぬべきかな」は、「きっと~に違いないだろうなあ」の意。

詠み人紹介

45番歌の詠み人は、謙徳公でした。

本名を藤原伊尹(ふじわらのこれただ)と言い、謙徳公というのはおくり名です。(おくり名とは、死後にその人の徳をたたえて贈られる呼び名のことです)。

26番歌の貞信公(藤原忠平)の孫で、上にも出て来た藤原時平は伊尹の大伯父に当たります。

50番歌の藤原義孝は、伊尹の子です。

伊尹は、和歌所の長官として「後撰和歌集」をまとめた五人の撰者(「梨壺の五人」と呼ぶ)のまとめ役になり、「後撰和歌集」の完成に力を尽くしました。

 

伊尹の父・藤原師輔は倹約家でしたが、伊尹は贅沢が好きな性格だったと言われています。

豆知識

平安時代の貴族社会では、一人の女性だけを愛するのは真面目人間として、軽く見られていました。

覚え方

【決まり字】

あはとも いふべきひとは おもほえで

いたづらに なりぬべきかな

 

【覚え方・語呂合わせ】

あは! みさん!

 

 

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