続けて、百人一首の11~15番歌の紹介です。
11.参議篁
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【読み】
わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと
ひとにはつげよ あまのつりぶね
詠み人は参議篁(さんぎたかむら)。
「都には帰れない」と流罪された時に詠んだ歌です。
歌の意味
【現代語訳】
「広々とした海原はるかに多くの島々を目指して船を漕ぎだしていったと、都にいるあの人に伝えてくれ。漁師の釣り舟よ」
【わかりやすい現代風訳】
「めっちゃ遠くの島に行くねん、伝言頼むわ釣り舟はん」
言葉の意味
【わたの原】
海原、広々とした海、の意。
【八十島】
多くの島、の意。
「八十」は数の多いこと。
【かけて】
目指して、の意。
【人】
ここでの「人」は、家族や親しい人々を指す。
【あまのつり舟】
漁師の釣り舟、の意。
「あま」は「海人」と書き、漁師のこと。
詠み人紹介
11番歌の詠み人は、参議篁でした。(「さんぎ たかむら」と読みます。難しい字ですね)
本名は小野篁(おのの たかむら)と言います。
平安時代初期の学者であり、詩人・歌人でもあります。
野宰相、野狂とも呼ばれ、その異名の通りに悪を成敗をして回ったと言われる、武術にも歌にも秀でていた人物です。
晩年は学者・歌人としての実力が認められて参議という高い位につき、これが百人一首の名前にもなりました。
834年、篁は遣唐副使に任命され、唐に渡ることになりましたが、出発前、遣唐大使だった藤原常嗣(ふじわらのつねつぐ)の船が破損していることがわかり、常嗣は篁が乗るはずだった船に乗船し、破損した船に篁が乗るよう命じました。
この常嗣の横暴に篁は抗議し、自身の病気等を理由に乗船を拒否、結果的に他の遣唐使を乗せた船はそのまま出航してしまいました。
篁は怒りの気持ちのままに遣唐使を風刺するような漢詩を書き、これを目にした嵯峨上皇は激怒、篁を流罪の刑に処したのです。
(流罪は、当時としては最も重い刑のひとつで、一度流されれば生きて帰ることは難しかったと言われていました)
篁は隠岐の島へ流され、その時に詠んだ歌が、この百人一首の歌です。
しかし、二年後には罪を赦されて、篁は運良く都に帰ることができました。
ちなみに、篁の孫に当たる小野道風(みちかぜ/とうふう)は優れた書道家で、現在では花札の柳(雨)の20点札のモデルだと言われています。
豆知識
小野篁は少年時代からとても頭が良く、嵯峨天皇(第52代天皇)から
「子子子子子子子子子子子子」
の読み方を問われた時、
「猫の子仔猫、獅子の子仔獅子」
と読んでみせたという逸話が残っています。
(「子」という字は「ね」「こ」「し」「じ」と四通り読めるから)
覚え方
【決まり字】
わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと
ひとにはつげよ あまのつりぶね
【覚え方・語呂合わせ】
わたのはらやん、人には告げ口すんな!

12.僧正遍昭
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【読み】
あまつかぜ くものかよひぢ ふきとぢよ
をとめのすがた しばしとどめむ
詠み人は僧正遍昭(そうじょうへんじょう)。
「美しい天女たちだ」と感動を詠んだ歌です。
歌の意味
【現代語訳】
「空に吹く風よ、雲の中の通り道を、どうかふき閉ざしてくれ! 舞い終わって天に帰っていく天女たちの姿を、せめてもうしばらくここに留めておきたいのだ」
【わかりやすい現代風訳】
「推し天女アンコールゥゥ!!」
言葉の意味
【天つ風】
空を吹く風、の意。
【雲の通ひ路】
雲の中にある、天上への通路のこと。
【ふき閉ぢよ】
ふき閉ざしてくれ、の意。擬人法になる。
【をとめの姿】
天女の姿、の意。
五節の舞姫を天女にたとえて言ったもの。
【しばしとどめむ】
しばらく地上にとどめておきたい、の意。
詠み人紹介
12番歌の詠み人は、僧正遍昭でした。
8番歌詠み人の喜撰法師、9番歌詠み人の小野小町と同様の六歌仙の一人であり、更に、三十六歌仙の一人でもあります。
六歌仙と三十六歌仙の両方に選ばれているのは、9番歌・小野小町と、17番歌・在原業平、そして僧正遍昭だけです。
遍昭は元の名前を良岑宗貞(よしみねのむねさだ)と言い、天皇の側につく蔵人頭として仁明(にんみょう)天皇(第54代天皇で嵯峨天皇の皇子)に仕えるエリートでした。
ところが、仁明天皇が崩御したことをきっかけに妻にも何も言わずに出家、35歳の時に天台宗の僧侶となり、その後僧正と言う高い位につきました。
出家前、まだ仁明天皇にお仕えしていた頃、遍昭は宮中で行われた「豊明の節会(とよあかりのせちえ)」出席しました。
豊明の節会とは、その年に収穫した稲を神に供え、天皇も臣下も共に、その米を食べる儀式のことです。
宮中では最大の儀式でもあります。
そこで行われる五節の舞は、毎年11月(陰暦)、五人の乙女が天女の姿になって舞うもので、昔天武天皇が吉野にお出ましになった時に天女が舞い降りて舞ったことに基づいています。
遍昭は桓武天皇(第50代天皇)の孫に当たり、21番歌の素性法師の父でもあります。
豆知識
五節の舞を舞う舞姫は、公卿・殿上人・国司の家などから美しい少女たちが選ばれて、舞を披露していました。
覚え方
【決まり字】
あまつかぜ くものかよひぢ ふきとぢよ
をとめのすがた しばしとどめむ
【覚え方・語呂合わせ】
あまつ(天津) をとめ(乙女)

13.陽成院
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【読み】
つくばねの みねよりおつる みなのかわ
こいぞつもりて ふちとなりぬる
詠み人は陽成院(ようぜいいん)。
「いくら愛しても愛したりない」と内親王を思う歌です。
歌の意味
【現代語訳】
「筑波山の峰から流れ落ちるわずかな水が、やがて大きなみなの川となり、ついには深い淵となるように、人知れずあなたを思う私の恋心も、積もり積もって今では深い淵のようになってしまいました」
【わかりやすい現代風訳】
「恋心も塵つも」
言葉の意味
【筑波嶺】
常陸の国(現在の茨城県)にある筑波山のこと。
【みなの川】
筑波山のふもとを流れて霞ケ浦にそそぐ川のことで、現在の桜川のこと。
【恋ぞつもりて】
恋心も積もり積もって、の意。
【淵となりぬる】
淵のように深いものになってしまったことだ、の意。
「淵」は、川の流れが淀んで深くなっている所。
詠み人紹介
13番歌の詠み人は、陽成院でした。
父は清和源氏の祖である第56代清和天皇で、陽成院はわずか9歳で父から譲位され陽成天皇となりましたが、17歳で15番歌の詠み人、大叔父に当たる光孝天皇に譲位し、その在位は8年ほどでした。
幼い頃から乱暴者で奇行があり、それが原因で短い在位だったという説もありますが、伯父に当たる藤原基経の計略で退位を迫られたという説もあります。
譲位した陽成院は、心ひそかに綏子内親王(すいしないしんのう)に恋していました。
綏子内親王は、大叔父・光孝天皇の皇女であり、父・清和天皇の従兄弟に当たる女性です。
綏子内親王への思いを精一杯に詠んだ歌が、百人一首にも選ばれたこの歌なのです。
(とはいえ、陽成院のものとされる歌はこの一首しかありませんが…)
結果的にこの恋は実り、綏子内親王は陽成院のお妃になりました。
陽成院はこの時代にしてはとても長命で80歳まで生き、更に20番歌の元良親王の父でもあります。
豆知識
筑波山は、昔は男女の出会いの場として有名な場所でした。
覚え方
【決まり字】
つくばねの みねよりおつる みなのかわ
こいぞつもりて ふちとなりぬる
【覚え方・語呂合わせ】
つくばね こいぞう をよろしく

14.河原左大臣
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【読み】
みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに
みだれそめにし われならなくに
詠み人は河原左大臣(かわらのさだいじん)。
「あなたのことで心はいっぱい」と恋人へ送った歌です。
歌の意味
【現代語訳】
「東北産のしのぶもぢずりの乱れ模様のように、私の心も様々に乱れています。でも、それは一体誰のせいでしょう。みんなあなたのせいなのです」
【わかりやすい現代風訳】
「お前のこと考えるだけで、心がシッチャカメッチャカやで」
言葉の意味
【陸奥の】
現在の東北地方の東半分を広く言う。
【しのぶもぢずり】
福島県信夫地方から産出した、乱れ模様にすり染めた布のこと。
漢字で書くと、「忍捩摺」。
【たれゆゑに】
あなた以外の誰のせいで、の意。
【乱れそめにし】
乱れて始めてしまった、の意。
「そめ」は、「初め」と「染め」の掛詞。
【われならなくに】
私ではないのに、の意。
詠み人紹介
14番歌の詠み人は、河原左大臣でした。
本名を源融(みなもとのとおる)と言い、11番歌の詠み人紹介に少し出てくる嵯峨天皇の皇子ですが、後に臣下に下って源の姓を名乗るようになりました。
非常に大金持ちで、贅沢が大好きなプレイボーイとして有名な人物です。
「源氏物語」に出てくる主人公・光源氏のモデルの一人でもあります。
ある時、左大臣は親しくしていた恋人から届いた手紙で少し責められてしまい、その返事としてこの歌を詠んだと言われています。
左大臣は、現在の京都の河原院という大きなお屋敷に住み、その庭に東北地方の名所・塩釜海岸とそっくり同じ景色を造って楽しみました。
わざわざ海水を運んだとされ、その量は毎月、現在で言うところの石油缶約300個ほどだったと伝えられています。
しかしおよそ100年後、左大臣の死後に維持できずに荒れ果てた河原院を、47番歌の恵慶法師が歌に詠んでいます。
また、京都の有名観光地でもある平等院鳳凰堂は、元は左大臣の別荘でした。
豆知識
源融は、河原院というお屋敷に住み、役職が左大臣だったので、河原左大臣と呼ばれました。
覚え方
【決まり字】
みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに
みだれそめにし われならなくに
【覚え方・語呂合わせ】
みち(道)が 乱れそう

15.光孝天皇
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【読み】
きみがため はるののにいでて わかなつむ
わがころもでに ゆきはふりつつ
詠み人は光孝天皇。
「若菜を召し上がれ」と恋人へ送った歌です。
歌の意味
【現代語訳】
「あなたに差し上げようと思って春の野で若菜を摘んでいる私の袖に、早春の淡雪がしきりに降りかかります」
【わかりやすい現代風訳】
「若菜摘んでる最中に雪が降ってきよった!雪の中頑張ったから、この若菜は絶対食べてってな!」
言葉の意味
【君がため】
「君」は、若菜を送る相手のこと。女性。
【若菜摘む】
早春の野に生える食用の野菜や野草のことを、若菜と言う。
春の七草などをさす。
【雪は降りつつ】
雪がしきりに降りかかってくることだ、の意。
詠み人紹介
15番歌の詠み人は、光孝天皇でした。
第58代天皇で、13番歌の陽成院が譲位したのが、この光孝天皇です。
少し遅い、55歳での即位でした。
28番歌の源宗于朝臣の祖父に当たり、14番歌の河原左大臣同様、「源氏物語」に出てくる主人公・光源氏のモデルの一人でもあります。
まだ天皇に即位する前、親王だった時代から、光孝天皇は心優しく、とてもイケメンな青年だったと言われています。
しかも、即位する前の不遇だった頃を忘れまいと、即位後も自分で炊事をされていました。
この時代、人に物を贈る時は歌を添えるのが習わしだったので、光孝天皇も、若菜と一緒に百人一首のこの歌を親しい女性に贈ったのでしょう。
下の句が1番歌の天智天皇とよく似ているので、間違えて覚えないようにしましょう。
豆知識
若菜は、冬の野菜が少なかった当時、大切な食べ物でした。
正月最初の子の日に若菜を食べると災いや万病を防げると信じられていて、これが現在の七草がゆとなっています。
覚え方
【決まり字】
きみがため はるののにいでて わかなつむ
わがころもでに ゆきはふりつつ
【覚え方・語呂合わせ】
君(を)がためて(固めて)はる(春)、我が衣に雪こんこん

1~5番歌はこちらから。
6~10番歌はこちらから。
16~20番歌は恋歌ばかりです。
21~25番歌はこちらから。
26~30番歌はこちらから。
31~35番歌は古今集時代の名人ばかりです。



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