百人一首、51~55番歌の紹介です。
51.藤原実方朝臣
【読み】
かくとだに えやはいぶきの さしもぐさ
さしもしらじな もゆるおもひを
詠み人は藤原実方朝臣(ふじわらのさねかたあそん)。
じりじり燃える恋心を詠んだ歌です。
歌の意味
【現代語訳】
「こんなにもあなたを想っているのに、あなたにはとてもこの気持ちは言えません。ですから、伊吹山のもぐさが燃えているように、同じく熱く燃えている私の恋心など、あなたはご存知ないのでしょう」
【わかりやすい現代風訳】
「俺の気持ちなんて言われへんやん。だから俺がどんだけお前が好きか、お前は知る由もないっちゅーわけや」
言葉の意味
【かくとだに】
こんなに恋慕っているとさえ、の意。
【えやはいぶきの】
言うことができようか、いやできない、の意。
「いぶき」は「えやはいふ」の「いふ」に、「伊吹山」の「いぶ」を重ねた掛詞。
伊吹山は栃木県にあって、もぐさ(さしも草)の名産地。滋賀県の伊吹山ではない。
【さしも草】
お灸に用いるもぐさのことで、よもぎの別名。
【さしも知らじな】
そうとも知らないだろう、の意。
【燃ゆる思ひを】
燃えている私の想い(恋心)などは、の意。
「思ひ」の「ひ」は、「火」との掛詞。
詠み人紹介
51番歌の詠み人は、藤原実方朝臣でした。
左大臣藤原師尹(ふじわらのもろすけ)の孫で、数々の恋愛をしたイケメンのプレイボーイとして大変有名な貴族です。
中でも、平安時代きっての女流作家、百人一首62番歌の清少納言とも恋仲で、多くの和歌を詠みました。
鎌倉時代には、17番歌の在原業平と共に、歌の神様として敬われていたほどの歌人です。
プライベートでは、百人一首にも選ばれるほどの恋歌を詠んだ48番歌の源重之、52番歌の藤原道信朝臣、平安時代中期一の知識人だった55番歌の大納言公任(藤原公任)と親しかったと言われています。
実方は、50番歌の藤原義孝の子であり優れた能書家として三蹟と呼ばれた藤原行成と、一条天皇(第66代天皇)の御前で口論をして諍いを起こしたとして、一条天皇から怒りを買って陸奥の国に左遷させられたとする逸話があります。
が、この時に一条天皇が多大な餞別を実方に贈っていたなど、史実と逸話が異なることから、左遷ではないという説もあるので信ぴょう性は低いです。
豆知識
実方は出世できなかったのを恨んで、死後スズメになり、宮中の台所に現れて米を食い荒らしたという伝説がありますが、これもあくまで、伝説です。
覚え方
【決まり字】
かくとだに えやはいぶきの さしもぐさ
さしもしらじな もゆるおもひを
【覚え方・語呂合わせ】
かく さん!
52.藤原道信朝臣
【読み】
あけぬれば くるるものとは しりながら
なほうらめしき あさぼらけかな
詠み人は藤原道信朝臣(ふじわらのみちのぶあそん)。
「愛しい人といつまでも一緒にいたい」と夜明けを恨んだ歌です。
歌の意味
【現代語訳】
「夜が明ければやがて日が暮れ、そうすればまた恋しいあなたにお会いできる。そんなことはわかっているけれど、やはり、あなたと別れて帰らなければならない明け方は恨めしいものです」
【わかりやすい現代風訳】
「わかっちゃいるけど、夜明けがムカつく」
言葉の意味
【明けぬれば】
夜が明けてしまうと、の意。
【暮るるものとは】
やがて日が暮れ、また行って会うことができるものとは、の意。
【知りながら】
「理屈ではよくわかっているが」の気持ちを表現。
【なほ恨めしき】
それでもやはり恨めしいものだ、の意。
【朝ぼらけかな】
「朝ぼらけ」は、夜がほのぼの明ける頃。「明けぬれば」と同じ時分。
詠み人紹介
52番歌の詠み人は、藤原道信朝臣でした。
45番歌で紹介した謙徳公の孫に当たり、51番歌で紹介した藤原実方朝臣、55番歌の大納言公任(藤原公任)と親しかったと言われています。
当時、天才的な歌人として有名な人物でした。
平安時代、貴族の男性たちは夕方になると妻や恋人の元に通い、夜明けになると自分の家に帰る通い婚が主流でした。
その習わしから、道信は夜明けになると愛する人と別れなければならないこの歌を詠んだのです。
豆知識
道信は、当時流行していた天然痘にかかり、23歳という若さで亡くなっています。
覚え方
【決まり字】
あけぬれば くるるものとは しりながら
なほうらめしき あさぼらけかな
【覚え方・語呂合わせ】
開けな、ほうら…
53.右大将道綱母
【読み】
なげきつつ ひとりぬるよの あくるまは
いかにひさしき ものとかはしる
詠み人は右大将道綱母(うだいじょう みちつなのはは)。
「あなたは私の気持ちをわかってくれない」と夫を恨んだ歌です。
歌の意味
【現代語訳】
「あなたが来ない寂しさを嘆き続けて一人ぼっちで寝る夜が、夜明けまでの時間どれだけ長いことか。あなたは、ご存知ないでしょう」
【わかりやすい現代風訳】
「あんたが来ない夜はむっちゃ長いってこと、あんた知らんやろ」
言葉の意味
【嘆きつつ】
夫が来ない(他の女性に心を移した)のを嘆き続けて、の意。
【ひとり寝る夜の】
一人だけで、寂しく寝る夜の、の意。
【明くる間は】
嘆き続けた夜の明けるまでの時間は、の意。
【いかに久しき】
どんなに長いものであるか、の意。
【ものとかは知る】
ものと知っているか、おそらく知ってはいないだろう、の意。
詠み人紹介
53番歌の詠み人は、右大将道綱母でした。
後に右大将となった藤原道綱の母なので本来は「藤原道綱母」と呼ばれていますが、百人一首では「右大将道綱母」となっています。
平安時代は特に身分の低い女性の本名はわからないのが普通で、本名を知っているのは両親と夫くらいだったためです。
道綱母は夫との結婚生活等を綴った「蜻蛉日記」の著者でもあり、平安時代の女流作家の一人です。
「蜻蛉日記」は女流日記文学の最初の作品で、「源氏物語」など、多くの文学作品に影響を与えました。
「蜻蛉日記」の話題の中にある、道綱母の夫は、藤原兼家。
兼家は、歴史の教科書で一度は習う、平安時代に権力を得た藤原道長の父でもあります。(当時は一夫多妻制だったため、道綱母は道長の実母ではありません)
兼家自身は、45番歌で紹介した謙徳公の実の弟に当たるので、52番歌の藤原道信の大叔父になります。
道綱母は身分が高くなかったため、兼家の正妻にはなれず、そのためなのか子の道綱も正妻の子であった道長や藤原道隆(54番歌で紹介する儀同三司母の夫)よりは昇進が遅れました。
百人一首のこの歌は、ある夜、夫の兼家が道綱母の屋敷に突然やって来たものの、最近他の女性に夢中で寄り付かなかったことに腹を立てていた道綱母は、絶対に門を開けさせませんでした。
兼家は怒って帰ってしまいましたが、その後に、道綱母はこの歌を送ったと言われています。
豆知識
この歌を詠んだ頃の道綱母は、道綱を出産して間もない18~9歳、夫の兼家は27歳くらいでした。
覚え方
【決まり字】
なげきつつ ひとりぬるよの あくるまは
いかにひさしき ものとかはしる
【覚え方・語呂合わせ】
嘆き イカ…
54.儀同三司母
【読み】
わすれじの ゆくすゑまでは かたければ
けふをかぎりの いのちともがな
詠み人は儀同三司母(ぎどうさんしのはは)。
「幸せのうちに命尽きたい」と恋の不安を詠んだ歌です。
歌の意味
【現代語訳】
「いつまでも忘れないとあなたは仰ってくださいますが、そのお心が変わらないことは難しいことですから、こうしてあなたに愛されて幸せな思いに包まれている今日を限りに、私の命は終わってほしいのです」
【わかりやすい現代風訳】
「幸せ絶頂期の今日を命日にしたい!」
言葉の意味
【忘れじの】
忘れまいと言った、その言葉の、の意。
「忘れじ」は、約束の言葉のこと。
【行く末までは】
将来、いつまでも変わらないことは、の意。
【かたければ】
難しいことだから、の意。
【今日を限りの】
今日を最期として亡くなっていく、の意。
【命ともがな】
命であって欲しいものだ、の意。
詠み人紹介
54番歌の詠み人は、儀同三司母でした。
本名は高階貴子(たかしなのたかこ/きこ)と言い、子である藤原伊周が儀同三司という位に就いた頃から、儀同三司母と呼ばれるようになりました。
高階成忠の娘で、和歌や詩文に長けたため、宮中に入ってからは「高内侍」という、女性としては高い位に就きました。
貴子は、「枕草子」の作者、百人一首でも62番歌に選ばれた清少納言が仕えた、中宮・定子(一条天皇の皇后)の母でもあります。
貴子の夫は、藤原道隆。
先程の53番歌で紹介した右大将道綱母の夫である藤原兼家が父親で、あの藤原道長は実弟になります。
つまり、当時のエリート貴族ということですね。
百人一首のこの歌は、夫になる道隆が貴子の元に通い始めた頃に詠まれた歌です。
豆知識
99番歌の後鳥羽院は、貴子のこの歌が好きだったと言われています。
覚え方
【決まり字】
わすれじの ゆくすゑまでは かたければ
けふをかぎりの いのちともがな
【覚え方・語呂合わせ】
忘れる けふ(今日)を…
55.大納言公任
【読み】
たきのおとは たえてひさしく なりぬれど
なこそながれて なほきこえけれ
詠み人は大納言公任(だいなごんきんとう)。
昔を偲んで詠んだ歌です。
歌の意味
【現代語訳】
「この滝の音が聞こえなくなってから長い年月が経ってしまったけれど、素晴らしい滝だったという評判だけは流れ伝わり、今でも広く世間に知れ渡っています」
【わかりやすい現代風訳】
「素晴らしかった滝の評判は今も衰えてへんで」
言葉の意味
【滝の音は絶えて】
滝の音が聞こえなくなって、の意。
「滝」は、京都市右京区嵯峨にある大覚寺の古い滝のこと。
【久しく なりぬれど】
長い年月が経ってしまったけれど、の意。
【名こそ流れて】
「名」は、名声・評判。
滝は枯れてしまったが、その名声は今日まで流れ伝わって、の意。
【なほ聞こえけれ】
やはり、世間に知られていることだ、の意。
詠み人紹介
55番歌の詠み人は、大納言公任でした。
本名を藤原公任と言って、平安時代中期の和歌の名人とする三十六歌仙を選出したのが、この公任です。
関白から後に太政大臣になった藤原頼忠が公任の父、64番歌の権中納言定頼(藤原定頼)は、公任の子です。
公任は和歌・漢詩・音楽共に優れ、当時第一の知識人・文化人でもあり、同じく多芸多才だった71番歌の大納言経信は、この公任と比較されるほどでした。
藤原道長が舟遊びをした時、漢詩・和歌・管弦の船に分けてそれぞれの分野の名人を集めた時、公任はどれを選んでも絶賛されたであろう才能の持ち主だったことから、「三船の才」と言われました。
先述したように、51番歌で紹介した藤原実方朝臣、52番歌の藤原道信朝臣と親しかったそうです。
百人一首で詠まれた「滝」は、京都の大覚寺の滝のことです。
大覚寺は嵯峨天皇(第52代天皇)が上皇になられた時の離宮で、上皇はここに滝を造ってその眺めの素晴らしさを楽しんでいましたが、200年ほど経過した公任の時代にはすっかり枯れ果てており、昔のことを偲んでこの歌を詠みました。
豆知識
この歌は、五七五七七が全て「た」と「な」で始まっていて、とても滑らかな調べになっています。
覚え方
【決まり字】
たきのおとは たえてひさしく なりぬれど
なこそながれて なほきこえけれ
【覚え方・語呂合わせ】
タキの 名こそ、JRの貨物タキ1000形貨車!(本当にあります)
1~5番歌はこちらから。
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